すてきなお別れ会

綾さんのお別れ会はすべて家族の手作りでした.
おうちの庭に祭壇と軽食会場を作り一日オープンハウスのような
形で行われなした。

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食事はなんと羊を一頭丸焼きにして、(このオーブンも息子たちの手作り)参加した人たちのもちよりのおかずと
一緒にふるまわれました。
それはまるで綾さんがたくさんの人たちを自分の家に招き、ずっとやっていたパーティーのようでした。

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私は祭壇におりんをもって行きました。
これは九州を旅したときにみつけたおりんで、普通のおりんとちょっと違いとても繊細な音色がします。
アメリカの人たちにはこんな風習はないでしょうが、祭壇の前でたくさんの人たちがこのおりんをならして
くれました。

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そしてそこに字手紙も添えました。
「祈・・・・・綾さん ありがとう やすらかに」
綾さんからアメリカに滞在中、私はたくさんの書を教えてもらいました。自分が書きたいものすべてのお手本を書いて
もらい、にじみやぼかしをあえてつくったり、また書く紙まで作ってしまったり・・・私がこれまで教わってきたいわゆる
「お習字」というものとは全く違う自由な発想の書を学びました。
もっともっと教えてもらいたいことがいっぱいあったのに・・・。
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綾さんのお別れ会はのべ300人近い人たちが参列し、子供たちそして孫たちがみんなで力を合わせておばあちゃんのために
作った会場で、綾さんの思い出話が夜遅くまで聞こえていました。
そこには涙でなくたくさんの笑い声がありました。お別れの会という悲しく寂しい場所なのに、人々は楽しそうに
まるで綾さんを囲むようにして時間を過ごしていました。これが亡くなった人のまさに「生き様」なのかなと、
たくさんの人たちを招き、いつも楽しい時間を作ってきた綾さんだからこそこんなお別れ会ができたのではないか
と思いました。

私たちはみんなが帰った後、板垣家の家族と一緒に後片付けをしてホテルに戻りました。
夏でも夜にはひんやりとした空気がながれ、街灯一つない湖畔の道から空を仰げばそこには満点の星。
その星のひとつに綾さんはなってしまったのでしょうか・・・。
それにしても、私たちがここで暮らしていた28年前とまったく変わらない時間がここには流れているような気がしました。
東京という大都会であくせく働いてきた自分にとって、ゆったりと流れる時を楽しむようにして人生を過ごしているこの地
の人たちとであった時、本当に衝撃を受けたものでした。
どうやったら本当に豊かな人生を送ることができるのだろう・・。また私はこんなことを考えてしまいました。
綾さん あなたがそこにいなかったことだけが、ただただ寂しく悲しく思いました。
でもきっとどこかで見ていたでしょうね。みんなでつくったあなたのお別れの会を。そしてこれからも見ていてくださいね。





# by nakai_otf | 2014-09-13 10:13

変わらない時間

なんだか急に涼しくなって拍子抜けですね。
でも私たちって暑ければ暑いと文句をいい、涼しければ早く涼しくなりすぎだと文句をいい
本当に文句の好きな生き物だなと思います。
暑いの大好きな私にとって、8月の最後がこれっていうのは寂しい。
やっぱりもう少し生ビール、く〜って飲みたいですよね。

さてさて今年の夏、私は特別な旅をしました。
というのは新婚時代住んでいたアメリカのニューハンプシャー州に行ってきたのです。
皆さんには「お世話になった」と心から思える人って何人くらいいらっしゃいますか?
今度の旅は私たち夫婦が、心からお世話になったと言える方のお別れ会に参加するための旅でした。その方は稲垣綾さん。
綾さんは研究者であるご主人の和彦さんとアメリカに渡り、50年以上この地で生活をされてきました。
今から26年前、右も左もハノーバーで生活を始めた私に何から何まで教えてくれたのが綾さんでした。
綾さんは筆と墨を使って書や絵をかくブラッシュアーティスト。
私は綾さんの書が大好きで、ハノーバーに住んでいる時に綾さんの書道教室に通い、
そして綾さんの描く絵に一目惚れした
私は私の処女作「ニューイングランド物語」の挿絵を綾さんに描いてもらったのです。
一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだり、たった2年弱の滞在でしたが折に触れ一緒の時間を過ごしました。
「いつでも私はここにいるから、みんなでいつでもいらっしゃいよ」
別れる時、綾さんは必ずこう言ってくれました。
いつでも元気いっぱい、そしてエネルギーに満ちあふれていた綾さん。
あそこに行けば綾さんがいる--心のふるさとハノーバーを思い出す時はいつもそう思っていました。
そんな綾さんが、脳卒中で急逝したという報が伝わったのが今年1月の終わり。
誰もが耳を疑う知らせでした。バスルームで倒れてそのままでした。

もともと8月には綾さん傘寿(80才)を祝う展覧会を企画していたのですが、
それがお別れの展覧会に変わってしまいました。
板垣家の子供たちはみんな私と同年代。
「是非来てください」というメールをもらいこの旅を決心しました。
展覧会の会場へ行くとそこには綾さん渾身の作品がたくさんならんでいました。
大好きだった綾さんの書や絵をみただけでもう涙がとまらなくなりました。

「天地」
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「鳥」
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展覧会の翌日はレイクモーレイ(バーモント州)のほとりにあるご自宅で、
ご主人と子供たちによる手作りのお別れ会が開かれました。
その様子は次号で。
私のこころのふるさとには27年前と変わらない時間が流れていました・・・・・。



# by nakai_otf | 2014-08-31 16:30

わんちゃん保護しました

今朝6時15分頃大田区田園調布付近でわんちゃんを保護しました。
首輪がなく単独歩行。
こちらジャスミンと一緒に散歩中でしたが、よんでも近寄ってこなかったため、
お散歩でよくお会いする方と挟み撃ちするような形で保護しました。
柴犬ですが、こぶりの柴犬です。豆柴でしょうか。
柴犬に対する知識がなくてごめんなさい。
田園調布駅前の交番に届けました。
万が一、このブログをごらんになった方でお心あたりのかたはどうぞ田園調布駅前交番か
田園調布警察までご連絡ください。

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# by nakai_otf | 2014-08-21 07:45

50年が経ちました

昨日8月17日は私たちの父、佐田啓二の命日でした。父が亡くなった日からちょうど50年。
当時小学校1年生だった私と、まだ2才になる前の弟、
そして母を残し父は交通事故で一瞬のうちにこの世を去りました。

当時父は映画を中心に俳優として活躍しており、家庭を持ち、
子供もでき、まさに人間として、男性として、父親として
充実した時を過ごしていた頃だったと思います。

38才という若さでした。
父の眠る北鎌倉の円覚寺は、以来私たちにとってはとても特別な場所となり、
何かにつけてはお墓参りをし、父と語り合って来ました。
昨日はこの連日の猛暑の中、朝は思ったより気温が低く、
これは父がお墓に私たちをよんでいるに違いないと86才になった母と、
娘たち二人を連れて車を走らせました。

会ったことのない「ジージ」は私の娘たちにはもっとも会いたい憧れの男性。
父のお墓は円覚寺の中でもかなり階段をあがらないと行かれない高い所にあるのですが、
86才の母は必ずこの階段を昇ります。

「早く迎えに来てよ、と言ったってももうこんなおばあさんじゃ誰だかわからないだろうけど」
といいつつ。

毎年のことながら、水をかけてもあっという間に乾いてしまうお墓に、
たくさんたくさん水をかけて来ました。
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父を知る方がだんだん少なくなる今も、お目にかかる方から時折
「あなたのお父さんのファンだったのよ」と声をかけていただくことがあります。
ありがたいことだなーといつも思います。

今年も10月にこの円覚寺で「音語り・秋刀魚の味」を上演します。
私にとっての特別な場所で。

そのころはおそらく、すがすがしい秋の気候となっているはずです。
# by nakai_otf | 2014-08-18 19:05
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